【マカン・マラン】2019・5・12
2019年05月12日
《昨日の夕空》
《マカン・マラン》
昨夜、
読み終えた本。
古内一絵『マカン・マラン~二十三時の夜食カフェ』(中央公論社)
マカン・マラン?
14ページで疑問が解けます。
何度かバリにいったことのある塔子には、
それがインドネシア語であることが分かった。
マカンは食事、
マランは夜、
つまり、
夜食という意味だ。
琴線に触れた箇所を引用します。
脈絡なく・・・。
台所に立つ人と話をしながら料理を待つなんて、
一体、
何年ぶりだろう。
それが自分にとって、
とうに通り過ぎてしまった時代だという喪失感を伴っているせいか、
懐かしさには、
常に一抹(いちまつ)の寂しさがつき纏(まと)う。
無意識な侮(あなど)りは、
意識的なものよりたちが悪いし、
根深い。
「足りなければ、満たせばいい。空っぽならば、埋めればいいのよ」
さくらの心の奥底に小さな灯(ひ)がともる。
苦しかったり、
つらかったりするのは、
あなたがちゃんと自分の心と頭で考えて、
前へ進もうとしている証拠よ。
だから、
今はなにも見えなくても、
絶望する必要はない。
悩むことが必要な時期だってあるのよ。
《今朝の空》
《マカン・マランふたたび》
今朝から読み始めた本。
古内一絵『女王さまの夜食カフェ~マカン・マランふたたび~』(中央公論社)
まだ読み始めなので、
少しだけ引用します。
「真奈ちゃん、いっつも本ばかり読んでて、お友達と遊ばないんだって?」
だが、
ある日、
家庭訪問が終わった後、
母から咎(とが)めるような口調でそう言われた。
もう二十年近くも昔のことなのに、
あのとき心の中に兆(きざ)した恥ずかしさを、
真奈は今でもはっきり覚えている。
友達がいない。
それはやっぱり、
恥ずべきことなのだ。
黙って見守ってくれていると思っていた担任の先生が、
母にそれをこっそり告げていたことにもショックを受けた。
同じ絵本を何時間も眺めていても、
優しく認めてくれていたのは、
おばあちゃんだけだった。
本ばかり読んでいて、
お友達と一緒に遊ばない子は駄目なのだ。
結局あれ以来、
真奈は本から離れてしまった。
SNSでも注目されるのは、
どこかに毒をはらんだ発言が多い。
毒にも薬にもならない真奈のツィ-トは、
誰からも相手にされない。
「そうそう」「分かる分かる」
だけでつながれていない会話を、
真奈は随分久しぶりに聞いた気がした。
誰かだけが一方的に話すことも、
誰かやなにかを扱(こ)き下ろしたり、
貶(おとし)めたりすることもない。
なぜなら、
彼女たちは、
率直に自分のことを話している。
相手の言っていることをただ単に、
「繰り返し(リツィート)」したり、
おもねるように、
「相槌(いいね)」をしたりはしない。
あなたも、
自分のことを、
“ただの”とか“つまらない”とか言っちゃ駄目。
それは、
あなたが支えている人や、
あなたを支えてくれている人たちに対して、
失礼よ。
穏やかだが、
毅然(きぜん)とした口調だった。
このシリーズ、
この後、
『きまぐれな夜食カフェ~マカン・マランみたび~』
『さよならの夜食カフェ~マカン・マランおしまい~』
と続きます。
楽しみなことです。