よぶこえの引き出し

【反するもの】2019・5・14

2019年05月14日

《波》
寝っ転がって、
新潮社の「波」を読んでいたら、
琴線に触れる一文たちに出会いました。

書庫を整理していて見つけたものです。
2017年1月号でした。

 【反するもの】2019・5・14




《琴線》
水月昭造『お寺さん崩壊』(新潮新書)の紹介を、
著者の水月(みづき)さん自身が書いておられます。

  神や仏に対する信仰心が薄れている、
  と聞いても、
  日本人はもはや誰も驚かない。

  一方で、
  現代でも、
  確固たる信仰がなされるものもある。

  学歴信仰などは、
  その最たるものだ。

  人々は、
  自らが信ずるところのものを信じて生きていく。
  “信”に反する事柄には、
  「そんなバカな」  
  という疑心を常に携えて。

  「学歴は武器にならない」
  と聞けば、
  「まさか!」と疑い、
  なおさら頑(かたくな)になる。

  誰もが信じていることの裏側には、
  思いも寄らない真実が横たわっていることが少なくない。 


この一文たちの、
どこが琴線かというと、
信じる人の反応が、
まさしく、
そうだなあと同感できるところです。


生きていたら誰しも、
なにがしかの信じるものがあり、
なにがしかのことを信じて、
あるいは、
なにがしかのものを信じて生きています。

そうでないと、
この世を生きるのは、
なかなかに難しい・・・と思います。


信じることにハゲシイ人は、
「信」に反するものごとに出会ったら、
そんなバカなと思い、
ますます自分の「信」に頑なになり、
信じることにユルイ人は、
慌てたり迷ったりしても、
その実、
自分の生き方を、
ゆるかなに広げていくように思います。

なんてたって、
「信」にユルイ人たちですから・・・。

私も、
その部類・・・です。

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