よぶこえの引き出し

【この年にして】2019・5・31

2019年05月31日

《この年にして》
昨日は県庁で会議。
私の発想は、
他の多くの人たちの発想と、
ずいぶんズレていることを、
改めて思いました。

この年にして、
自己確立半ばです。

おおまかにいうと、
穏便か? 果敢か?
安泰か? 挑戦か?
現状維持か? 現状打破か?
守成か? 創成か? 

誰も、
そこまで語らないけど、
心のうちは、
そういうことかなと思います。



《傍線》
昨夜から、
大山淳子『あずかりやさん』(ポプラ社)を読み始め、
半分ぐらい読み終えました。

 【この年にして】2019・5・31



いつものように、
琴線に触れた箇所に、
赤のボールペンで傍線を引きながら読んでいて、
他の多くの人たちは、
全く違う箇所が赤くなるのだろうな・・・と思いました。


私が傍線を引いた箇所。
  「ええ、だいじなものですから」
  それを聞いて、
  相沢さんは涙ぐみましたが、
  こぼさずにじょうずにしまい込みました。

  七歳で光を失ってからは、
  泣いたところを見たことはありません。
  光と共に涙まで失ったのかもしれません。

  それでも会いに行った時、
  少しうれしそうな顔をしてくれました。

  すると兄はぼろぼろと涙を流し、
  ばかな兄貴ですまんと言いました。

  骨になってやっと兄妹(きょうだい)水入らずで暮らせるなんて、
  皮肉なものですね。

  納骨を終えると、
  アパートの部屋が広く感じられ、
  ぽっかりと寂しい気持ちになりました。

  かといってそれはなげやりという種類のものではなく、
  そこにあるのは静かな誠実。
  そんなところだ。

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