よぶこえの引き出し

【生活は情操だ】2019・6・4

2019年06月04日

《男子高校生》
昨日のこと、
男子高校生が、
「鷺沢萠をもっと読んでみたい」
と言ったとき、
私も、
久しぶりに鷺沢萠を読んでみようと思いました。

思いながら、
似たようなフレーズを、
どこかで目にしたような・・・、
でも、
どこだったか、
だれだったか、
思い出せなくて、
落ち着かない気持ちでした。

家に帰って、
本棚を探して、
新潮社の「波」(2017年4月号)だと分かりました。
 
谷口幸代が「『百年の散歩』をめぐる」の冒頭に書いています。
  「カント通り」を読んで、
  どうしてもカント通りに行きたくなった。

 【生活は情操だ】2019・6・4




《鷺沢 萠》
彼女が、
高校3年生のときに文學界新人賞を受賞したデビュー作、
「川べりの道」を読みました。

『帰れぬ人びと』(文春文庫)に、
4編の短編のうちの一つとして入っています。



よく分からない感覚でした。
ただ、
18歳の揺れ動く内面が、
不安定にたゆたう様子だけは伝わりました。

巻末の解説で、
作家の小関智弘が、
この作品について書いています。
  高校三年生、
  最年少受賞ということもあるが、
  その感性のみずみずしさに、
  五十を過ぎて、
  まだ原稿用紙の枡目(ますめ)を篩(ふる)いにして、
  文章修業を続けなければならぬわたしは唸(うな)った。

六十を過ぎた私は、
別の意味で唸ってしまいました。

分からないながらも、
私の読み方で、
肝腎なところが、
こぼれ落ちるのを覚悟で、
さあっと両手で掬(すく)い上げてみます。

主人公の吾郎は高校生です。
八つ違いの姉と暮らしています。

父親は好きな「女のひと」ができて、
家族を捨てて出て行き、
今も、
その「女のひと」と暮らしています。

母親は、
父親が家を出て行って数年後、
交通事故で亡くなっています。

姉は、
高校を卒業するとすぐ、
衣料会社に就職し、
吾郎を高校に通わせています。

吾郎は、
月に一度、
父親の家に養育費をもらいに行きます。

ある日、
吾郎が父の家に行くと、
がらんとしています。

台所の卓袱台(ちゃぶだい)にガラスの器が並んでおいております。
中に食べかけの苺(いちご)が入っています。

しばらく待っていると、
二階から父と「女のひと」の言い争う声がします。

吾郎は、
その日は養育費をもらわずに、
逃げるように父の家を出ます。

晩ご飯のとき、
食後に用意した苺を見て
姉が言います。

  昔、
  ウチにこれくらいのきれいなガラスのいれものがあったじゃない。

  苺を見たら思い出したの。
  苺なんか盛ると、
  ガラスのギザギザに苺が映ってさ、
  きれいだった。

  夏になると、
  母さんが、
  あのいれものにかき氷してくれてさ、
  好きだったのよ・・・。

  ああ、
  あのころがいちばん良かったなあ。

それを聞いて、
吾郎が急に怒り出します。

  うるせえなッ。

  なに怒ってんのよ、あんた。

  あんなもん、
  安ものじゃねえかよ。
  ちゃちなガラス細工の、
  安ものじゃねえかよ。

そうして思います。
  姉は騙(だま)されているのだ。
  安もののガラスの器に騙されているのだ。
  実際に手にすることはできないと判っているから、
  安心して、
  美化された記憶と一緒に、
  安もののガラス細工の夢を紡(つむ)いでいるのだ。

三日後、
父親の家に行ったとき、
父親が、
二階にお金を取りに行っているすきに、
ガラスの器を抱えて逃げ帰ります。

そいて、
川べりのセイタカアワダチソウの群生の中に投げ捨てます。


姉の幻想が、
「ああ、あのころがいちばんよかったなあ・・・」が、
現実の中で汚れてしまっているのが許せなかったのでしょう。

その気持ちは伝わりました。




《生活は情操だ》
最後に、
ここいいなあと思った箇所を引用して、
高校生の呟(つぶや)きからはじまった、
この長い高校生の物語を終わりたいと思います。
  
  生きていても、
  なにもいいことなんてないよ、
  吾郎はもう一度呟いた。
 
  生活は情操(じょうそう)だと言った誰かのことばを思い出した。

  それは間違っていると思った。
  少なくとも自分に関しては。
  そして、
  恐らくは姉の時子にとっても。


「生活は情操だ」
いいなあと思いました。

生活は、
食う寝るだけではない、
身過ぎ世過ぎに終わらせてははいけない、
高く深く豊かな感情が流れていなくてはならないものなのでしょう。

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