よぶこえの引き出し

【原田マハ】2019・6・19

2019年06月19日

《直木賞候補》
原田マハが57歳にして、
4度目の直木賞候補になりました。

候補作は、
『美しき愚かものたちのタブロー」(文藝春秋)
だそうです。



《原田マハ》
昨日から、
買いっぱなしの“原田マハ”を、
読みさしの“原田マハ”を、
並行しながら読み始めました。

『旅屋おかえり』(集英社文庫)
『スイート・ホーム』(ポプラ社)

 【原田マハ】2019・6・19



脈絡もなく、
無造作に、
やや乱暴に引用します。

  おれも、
  帰れない。
  クニにはこのさき、
  一生帰れないんだ。
  ・・・ずるい大人になっちまったからな。  
  つまらねえな。

  だからここで、
  踏ん張るしかねえんだ。
  何があったって。
  
  そのひと言が、
  私の胸のずっと奥に、
  ぽつんと落ちて、
  じわっとしみた。
  私は涙をぬぐって、
  顔を上げた。


  芸能人は、
  時間厳守が命、
  なにがあろうと、
  強く、明るく、元気よく。
  仕事がなくとも、
  胸張り顔上げ堂々と。

  
  生きることの意義に、
  真正面から向き合っている同い年の真与さんとは、
  くらべものにならないほど、
  私は小さい人間だ。
  些細なことでもすぐにヘコんでしまうし、
  生活力はないし。
  

  私は、
  こっそりと、
  けれども不思議なくらい強い関心を持って、
  彼の一連の動作を見守った。


  また来てほしい。
  でも来てもらっても、
  さびしい。
  来てくれなかったら、
  きっと、
  もっとさびしい。


    お父さん、
    ゆうべ、
    寝るまえに言うてたよ。
    ケーキ作りたいなんて、
    一度も言わへんかったあいつに、
    ケーキを作りたい気持ちにさせる誰かがおるんやなあって。

  静かな声で母が言った。
  冬のひだまりを集めたような、
  おだやかな微笑みが、
  その頬に浮かんでいた。


    僕は、
    そんな陽皆(ひな)さんが好きです。
    そして、
    今日、
    陽皆さんが住むこの街も、
    好きになりました。

    『スイート・ホーム』という、
    甘くてやさしい名前の付いたこの家に来ることができて、
    僕はうれしいです。
    この気持ちのまんま、
    僕は、
    陽皆さんを幸せにしたいと思います。

  一度も視線をそらさず、
  父の目をみつめたまま、
  昇(しょう)さんは語った。

  聞いている途中から、
  私は、
  涙があふれてきて仕方がなかった。
  がまんしようと目を伏せたら、
  その拍子に、
  涙がぽたぽたと膝の上に落ちてしまった。

  晴日(はるひ)が、
  向かい側から、
  無言でハンカチを差し出してくれた。
  その瞳もいっぱいにうるんでいた。


  青い闇の中に、
  白く浮かび上がるガラスの箱、
  『スイート・ホーム』。

  閉店時間をとっくに過ぎた店には、
  明かりが灯(とも)っていた。
  そして、
  店のドアの前に、
  ぽつりと立つ人影。

  父だった。
  その右手が、
  白いパティシエ帽を外した。

  こちらに向かって、
  ていねいに、
  深々と、
  白髪まじりの頭を下げた。

    またどうぞ、
    お越しください。
    お待ちしております。

    そして、
    どうか。
    どうか・・・どうか。
    ・・・陽皆を、
    娘を、
    よろしくお願いします。

  うつくしい一礼にこめられた、
  言葉にならない言葉。

  昇さんは、
  遠くの父に向き合うと、
  父よりももっ深く頭を下げた。

 
  私もまた、
  頭を下げた。
  その拍子に、
  また、
  涙がぽつんと落ちた。

  涙のしずくは、
  プロムナードの石畳に、
  にじんで消えた。


いい話でした。
実にいい話でした。
実に実にいい話でした。

本当にいい話でした。
本当に本当にいい話でした。  

ページトップへ