よぶこえの引き出し

【講演しりとり】2019・7・3

2019年07月03日

《感想》
来週の講演は、
どんなふうにしようかな?
・・・と思っていたところに、
先週の講演の礼状が届きました。

一番お世話になった方からの私信が添えてありました。

お聞きになった方々の感想を、
いくつか引用しながらのお手紙でした。

  「先生の原風景から、教員としての原点を見つめ直した」
  とか、
  「常に生徒のことを考え、生徒から憧れられるような教員を目指したい」
  とか、
  「『いっぱしの社会人』を育てていくという言葉に、これで間違っていないと勇気が湧いた」
  などなど・・・の声がありました。

ああ、そうなのか。
こういう処が受け入れてもらえる講演だったのか、
・・・と得心しました。

来週の講演の方向が決まったように思いました。

非常勤講師としての一年が、
教員としての原風景となりました。

がっこうのせんせい・・・とは、
子どもたちをして、
あのような大人になりたいと思わしめる人たち。

立派な高校生を育てることは叶わなくても、
いっぱしの社会人には育てたい。

まぶたとじて眠るときまで、
君の名を呼びたい。


既に終わった講演が、
次の講演の種になり苗になる。
・・・ということでしょうか?

「講演のしりとり」、
益田ミリの最新作「しあわせしりとり」(ミシマ社)から拝借しました。

【講演しりとり】2019・7・3



「しあわせしりとり」から、

「しりとり」に関する箇所を引用します。

  友人らとしりとりをしながら歩いた。
  しあわせなものしか言ってはいけない、
  名づけて「しあわせしりとり」である。
     (中略)
  しあわせしりとりの言葉はいろいろだった。
  しあわせのかたちもいろいろなのだと思う。
  「めりーごーらんど」の前の、
  「め」で終わった言葉はなんだったっけかな?
  翌日、
  仕事机の前で考えた。
  思い出して笑う。
  「いいねぇ、ほっこりするねぇ。存在がしあわせだわ」
  「しあわせ、しあわせ」
  すんなりと受け入れられていた。
  「めりーごーらんど」の前の言葉は「かめ」であった。


しあわせしりとりがほっこりなら、
講演しりとりはわくわくです。



《おまけ》
『しあわせしりとり』から、
ここんとこ、よかったなあ~と、
思わず口に出してしまった箇所を、
おまけとして引用します。

社会人になって四年が過ぎたころ、
実家から自転車で五分のところに、
マンションを借りて一人暮らしを始めたそうです。

  そんな日々を過ごしていたとき、
  大地震があった。
  1995年の阪神淡路大震災である。
  バンッ、
  という下からの強い衝撃のあとに、
  激しい揺れがきて、
  一瞬、
  なにが起こっているのかわからなかった。
  

実家はどうなっただろう?
とオロオロしているとこころに、
  玄関のドアをたたく音がした。
  わたしの名前を呼んでいる人がいる。
  母の声だった。
  ドアを開けると、
  母が立っていた。
  前髪、
  カーラー巻いたままやん。
  思ったが言わなかった。
  電気も灯(とも)らぬ真っ暗な道を、
  母は一目散にやってきたのだ。
  自分が誰かの大切な人であることを、
  若かったわたしは当然のように受け止めていたのであった。

このことも、
来週の講演では、
話題にしようと思いました。

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