よぶこえの引き出し

【多惑・頻惑】2019・7・5

2019年07月05日

《熱風》
先日、
本屋さんでいただいた冊子を、
朝まだき、
いいとこ取りして読みました。

「熱風」2019・6(スタジオジブリ)

 【多惑・頻惑】2019・7・5



《共感》
あちこちに、
今の自分として、
共感できる箇所がありました。

  人生にはいろんなことが起こる。
  それは、
  いろんなことを学ぶ機会になる。
  ・・・簡単なことでは無いけれど。
            (kanyada)

  私には、
  「世の中に不味い物はない」
  という持論がある。
  料理として出されている以上、
  それを美味いと感じる人は必ずいるはずで、
  不味いのではなく、
  その人の口には合わないだけだろう。
              (落合博満)

  筒美京平が言う“ヒット曲”というのは、
  “ヒットした”という結果を追認することではなく、
  “ヒットする要素”であり、
  “ヒットする予感”
  あるいは詞としてのまとまりや完成度ということなのだろう。
  “だった”ではなく、
  “なっていた”のである。
                        (田家秀樹)

  こういうことを言うと、
  奇跡がおきると励ましてくれる人がいるけど、
  1%の希望に目を向けるなら、
  どうじに99%のリスクを受け入れたほうがいい。
                   (幡野広志)



《多惑・頻惑》
最後の引用は、
税所篤快さんの「僕、育休いあただきたいっす」に、
引用されていた幡野広志さんの文章からの孫引きです。

幡野広志さんは写真家、
末期がんで余命3年と宣告されているそうです。

税所さんが、
家族で銀座をぶらぶら歩いていたら、
幡野さんの「優しい写真」という写真展に出会い、
「ひやかし」に入ったそうです。

会場に、
「優しい写真」という文章が掲げられており、
先ほどの引用は、
その文章からの長い引用の一部でした。


その引用の中に、
こんな箇所がありました。

二箇所、
引用から引用します。

  息子は父親の記憶がほとんどない人生を歩んでいくことになる可能性が高い。
  だけど、
  それは可哀想なことでも、
  不幸なことでもない。
  ぼくも息子も、
  与えられた条件のなかで生きているだけだ。

  すこし心配だけど、
  死んだあとの心配しても仕方がない。
  きっと妻がうまくフォローしてくれる。

  
税所さんは、
幡野さんの文章を読んで、
こんな述懐をしておられます。
  僕は負けず嫌い、
  うらやましがりな性格だ。
  帰国子女の友人の英語力をうらやみ、
  朝のニュースに出演する同級生のアナウンサーの活躍がはじまるとテレビを消し、
  ニューズピックスで同世代の起業家の活躍を知ると、
  顔を背ける。
  すべては、
  自分と他人を比較しているからだ。
  しかし、
  幡野さんの生き様はどうだろう。
  「ぼくも息子も与えられた条件のなかで生きているだけだ」と、
  言い切る幡野さん、
  いったいどれほどの葛藤のなかで、
  どれだけ多くのものを手放してきたのだろうか。
  僕には、
  当然ながら、
  同じようなことはできないだろう。
  それでも、
  彼の写真と言葉からは、
  言い知れぬたたずまいが僕に迫る。
  この胸の高まりはなんだろう。
  ひょっとsて、
  僕の命が彼の生き様に触れて高揚してるのかもしれない。


ああ、
それもある、
これもある、
そんな妬(ねた)みが、
自分の中に多々あることに気づかされました。

ささやかな高揚も、
確かにあるにはありましたが、
でも、
不惑をはるかに過ぎてなお、
多惑と頻惑の渦中(かちゅう)にいる自分を痛烈に感じました。




《おまけ》
盛り

 【多惑・頻惑】2019・7・5



兆し

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