【人は・・・】2019・7・8
2019年07月08日
《とっかえひっかえ》
このごろの本読みは、
とっかえひっかえ・・・です。
読めるところまで読んで、
疲れたら止める。
無理ない読み方をして、
飽きたら他に移る。
そんな読み方です。
《人は・・・》
中山七里『名作 名言~一行で読む 日本の名作小説~』(宝島社)
この人、
読書家だなあと思います。
すごい人だなって思います。
一行で、
みごとに、
小説を掬い取って見せます。
仕様がない。覚悟を極(き)めましょう。
(『それから』夏目漱石)
代助は三千代に愛を告白し。
父からの縁談を断るなど後戻りできない状況を、
自分でつくっておくながら、
父親に勘当されて、
収入の道を閉ざされたらどうしようなどと、
あれこれ考えこんでしまいます。
そんな代助にくらべて、
三千代が放った潔いこの言葉は、
決心したものの、
いつまでもぐずぐずと考えてしまう男と、
決めてしまえば肝の据わる女の姿を対照的に表しています。
辻村深月『太陽の坐る場所』(文芸春秋)
この人もすごいなって思います。
人の心の翳りの描き方がすごいと思います。
華奢な感性だと思います。
今働いてて、
東京生まれ東京育ちの子に会うと、
それはそれで田舎ルサンチマンが何もないことに私引くから、
結局どっちもどっちなんだろうけど、
私も劣等感ありありで、
それが嫌でこっちに出てきたんだし。
「広辞苑」第七版を開く。
ルサンチマン
①ニーチェの用語。弱者が強者に対する憎悪や復習心を鬱積させていること。
②一般に、怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が反復され内攻して心に積もっている状態。
女は、
二十台の最初から中頃にかけて、
すっきりと肉が落ちる時期がある。
聡美もそうだったし、
友人を見てもそう思う。
だけど、
紗江子は頬も顎も、
ラインが昔から変わらなかった。
太っている、
というところまではいかないが、
ふっくらはしている。
腰のラインに僅かなギャザーが入ったスーツ越しにも、
くびれはほとんど感じられない。
私はそこで、
皆と同じようにキョウコを笑う権利がある。
だけどその権利があることが、
泣き出したいほどに不快だった。
与謝野晶子訳『源氏物語~全五十四帖~』(河出書房新社)
現代語訳を比べるとき、
いつも取り上げる箇所があります。
「若紫」の最初です。
さるは、
限りなう心を尽くしきこゆる人に、
いとよう似たてまつれるが、
まもられるるなりけり、
と思ふにも涙ぞ落つる。
小学館の『源氏物語』(1)は、
こんなふうに訳しています。
というのも、」
じつは、
限りなく深い思いを捧げ申しあげるお方に、
じつによく似ているので、
それに、
しぜん目を引きつけられるわけであったのだ、
と思うにつけても涙がこぼれてくる。
与謝野晶子の訳は華があります。
なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、
それは恋しい藤壺の宮によく似ているからである、
と気がついた刹那(せつな)にも、
その人への思慕の涙が、
熱く頬を伝わった。
まだまだありますが、
今朝のところは、
このあたりに留めておきます。
それにしても、
人はすごいなって思います。
この場合の人、
余人(よじん)という意味の人。
自分以外の人っていうことです。
世人(せじん)という意味でもあります。
世の中の人っていう意味。
余人も世人も、
人はすごいなって思います。