よぶこえの引き出し

【まなざし】2019・7・9

2019年07月09日

《であい》
全人教広報誌「であい」NO.671(2018年2月号)で、
次の一節を見つけて、
その基になった本を読みたいと思っていたら、
知り合いが蔵書の中から探して送ってくれました。

まずは、
「であい」から引用します。
  吉本均という、
  もう亡くなられましたが、
  広島大学の教育方法学者が、
  このように言っています。
  「一人の中の二人の自分」
  「否定の中に肯定を見つける」

送られてきた本は、
吉本均編著『「まなさし」で身に語りかける』(明治図書)
「新・教授学のすすめ」というシリーズの第一巻です。

 【まなざし】2019・7・9



《共感のまなざし》
「であい」に引かれたあたりを、
すこし長めに引用します。

  あの子は「できない」とか、
  この子は「できる」子だとか。
  「落ちこぼれ」だ、
  「非行児」だとかいうように、
  子どもたちに固定的なレッテルを貼ってとらえるのではなく、
  「荒れる」子のなかに「荒れない」自分が、
  「できない」子のなかに「できる」部分が、
  「わからない」子のなかに「わかりたい」と願う「もう一人の自分」が存在しているのだ、
  ととらえることが、
  まさに、
  共感のまなざしの本質なのである。

  「荒れる」と「荒れない」、
  「できない」と「できる」とは別々にあるのではなくて、
  一人の子どものなかの「二つの部分」なのであり、
  一人のなかにある「二つの自分」なのである。

  どんな子どものなかにも、
  「二人の自分」が存在している。
  「できない」「荒れる」自分のなかに、
  「できるようになりたい」という自立=主人公への願いが秘められている。

  「問題児」といわれる子どもこそ、
  「二人の自分」の間で大きく揺れている。
  いまの自分と主人公への自分との間で揺れ、動き、
  人一倍、苦悩しているのである。

  われわれ教師の教育的まなざしとは、
  この苦悩への共感なのである。
  そして、
  もう一人の自分=主人公への励ましなのである。
  そういう志と願いをこめて、
  子どもにかける共感のまなざしこそ、
  最初の、
  そして最大の教育力なのである。


今日の講演のどこかで、
この一節を、
心込めて読みあげたいと思います。 

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