よぶこえの引き出し

【不登校】2019・8・27

2019年08月27日

《不登校》
買ったばかりの一冊、
昨夜から読み始めました。

小野善郎『思春期の育ちと高校教育』(福村出版)

著者は精神科医。

目次を載せます。

はじめに
序 章 廃校の危機から始まった高校教育の再検討
第1章 高校教育を問い直す
第2章 思春期の育ちの場としての高校
第3章 北星余市高校の背景
第4章 北星余市の教育を読み解く
第5章 どうして高校に行くのか
終 章  今ここからのスタート
あとがき

【不登校】2019・8・27



まだ、
「はじめに」を読んだだけす。

しかも、
著者みずから、
「話が不登校のことばかりになってしまいましたが・・・」
と断っておられるように、
「はじめに」は、
「不登校」に中心が置かれています。


心に残った箇所を少し引用します。

  不登校は、
  本人にとっても苦しいものに違いありませんが、
  それ以上に、
  親はこの事態に焦り、
  「どうして学校に行けないのか」
  「どうしたら行けるようになるのか」
  中学生であれば、
  「高校に入れるのか」
  高校生であれば、
  「卒業できるのか」
  が関心の的になっても、  
  そもそも、
  「どうして学校に行かなければならないのか」
  ということはなぜかあまり話題に上りません。


  13万人以上の子どもが、
  「ノー」と言っているのは、
  単に個人のレベルの問題ではなく、
  そもそも学校というものに、
  どこか問題があるのではないか、
  と考えるのがむしろ自然です。


  たしかに、
  「登校拒否」と呼ばれていた1990年代前半ころまでは、
  不安への精神療法が盛んに行われていましたが、
  不登校と呼ばれるようになってからは、
  登校を強制せず、
  むしろ、
  子どもが安心して過ごせるような環境を整えることが主流になりました。
  その典型が、
  相談室や保健室への登校、
  適応指導教室やフリースクールといえます。

  つまり、
  変えるべきは不登校児ではなく、
  学校環境という発想の逆転が起きたことになります。



恥ずかしながら、
読み進めて、
「ああ、そういうことだったんだ」と、
遅ればせながら腑に落ちることも、
少なからずありました。

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