よぶこえの引き出し

【後の祭り】2019・8・29

2019年08月29日

《後の祭り》
昨日は、
松江清心養護学校の職員研修に参加しました。

少し、
お話をしました。

昨日は、
話したいこと話しました。

でも、
終わってみて、
いつものように、
あんなこと言わなければよかった、
あのこともっと話せばよかった、
あれも読んでおきたかった、
そんな後悔に駆られました。

でもでも、
全ては後の祭り。

講演だけでなく、
日々の営みも後の祭りの連続。

それどころか、
人生そのものが後の祭り。

時間は不可逆だから、
取り戻しようもありません。

でもでもでも、
補いが可能な場合もあります。

昨日の講演でいえば、
昨日は読まなかった「ぱっちわぁく」

数人の数行を補います。 

「そのとき」の親の気持ちが、
「そこ」にありました。

  発達クリニックなどで診てもらったところ、
  行動異常という診断でした。
  その時はまだ、
  何のことかわからず、
  先生も、
  「もう少し様子をみましょう」
  ということでした。
  あとから考えるたびに、
  まさかという気持ちがだんだん大きくなりましたが、
  心の中で、
  まだ小さいからと、
  そんなことは考えないようにしました。
        (後略)


  なんとか約三週間で退院することができましたが、
  そのとき先生に、
  「母親と他人との区別ができるか」 
  「知的障害」
  「てんかん」
  などのことを言われ、
  てんかんや知的障害のことより、
  私が母とわからなかったらどうしよう!
  と涙があふれ出しました。
  娘が大きくなるにつれ、
  心身の発達の遅れが目立つようになり、
  他の子と比べるたびに、
  辛い思いをしました。
  障害を受け入れるまで、
  何度も陰で涙を流しました。
  どうしてこの子だけって・・・。
       (後略)


  息子は、
  直接生産を生み出す労働はできない。
  でも、
  息子が一人の人として受け入れられる場が欲しい。
       (中略)
  もし息子がいなかったら今の私もないだろう。
  周りのことにも、
  自分というものにも、
  無関心で過ぎただろう。
  こんなふうに思うようになったのは、
  息子が私のたちのところへ生まれてきてくれたおかげ。
  息子を通しての出会いによって、
  私が今の私になったのだ。
      (後略)


  学童保育について相談していたとき、
    がんばりんちゃい!・・・なんて言えんわぁね。
    私ががんばらにゃぁいけんのじゃけ~。
    一緒にやろうね。
    がんばろうね。
  と言ってくださった時、
  電話の向こうの私は、
  涙がポロリだったんです。
  何だかとても胸が熱くなって、
  ○○さんの心の温かさが伝わってきました。
      (後略)
  
このことばいくつか、
読みたかったなぁということが、
後の祭りであり、
補いのまねごとであり・・・。

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