よぶこえの引き出し

【都会と田舎】2019・9・14

2019年09月14日

《都会と田舎》
一週間、
何と言うこともなく忙しかったので、
昨夜になって、
今週の紙上歌壇に目を通しました。

今週の一首選びは、
「都会と田舎」で絞り込みました。


朝日歌壇
 道の駅 移住支援のコーナーに寄る人もなくて村は哀しも (鹿沼市)山西えり子


読売歌壇
 尺取りは物干し竿の端に立ち虚空まさぐる八月の空  霧島市 久野茂樹

昨日の夕方、
しゃがんで庭のバッタを見ていたら、
膝の上をシャクトリムシが這っていました。
尺取り尺取りしながら這っていました。


毎日歌壇
 東京の孫は夜店に行くのにも車じゃないのと驚く言葉  宮崎市 十河三和子

驚いているのは、
孫?
それとも、
祖母?

素直に考えれば孫でしょうが、
孫の言葉にのけぞる祖母でも面白いなって思いました。


山陰文芸
 スカートをひるがえしつつ電車に乗る向日葵のような都会の少女  出雲  渡部 学


今週の紙上歌壇、
最も心に残ったのは、
歌ではなくて、
毎日新聞の歌壇俳壇紙面の「ことばの五感」でした。

今回は、
歌人の川野里子さんが、
「乳房という灯」と題して、
心にしみる文章を載せておられます。
  確かに乳房は居場所だ。
  初めての授乳のとき、
  嬰児は痛いほどの力で乳を吸い、
  ここが自分の居場所だと宣言した。

  少し月が経つと、
  吸っていないほうの乳房に、
  これも自分のものだと手を伸ばす。
  何が何でも生きる、
  という意志を告げるのだ。

  乳房は確かに身体の一部なのだが、
  身体であるだけではなく、
  もっと独自の存在感をもっている。

  それはさながら、
  岬で光を灯す灯台のように、
  自分と他者、
  身体と心の中間当たりに迫り出していないか。
       (後略)



《中秋の名月》
紙上歌壇を読んでいたら、
障子の外が明るくて、
異常に明るくて、
庭に出たら、
十五夜でした。
満月でした。
カレンダーを見たら、
昨夜が中秋の名月でした。

 【都会と田舎】2019・9・14
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