よぶこえの引き出し

【東野圭吾】2019・9・16

2019年09月17日

《東野圭吾》
ひさしぶりの東野圭吾。

東野圭吾『希望の糸』(講談社)

一刻も早く結末が知りたくて、
そこに至る経過も心そそられて、
文字通り一気に読み終えました。

 【東野圭吾】2019・9・16



ミステリーですので、
ネタバレにならないように、
一箇所のみ引用します。

    子供のいない人生だって悪くないと、
    思っていましたから。

    だから、
    自分の子供が、
    比喩とかじゃなくて、
    本当に、
    自分の遺伝子を受け継いだ子供が、
    この世に生をうけていて、
    今も元気に生きているなんて、
    とても信じられません。

    夢のようだ、
    としかいいようがありません。
    夢なら醒めないでほしいと思います。

  ただ、
  といって彼女は目を輝かせ、
  言葉を繋いだ。

    やっぱり自分が産みたかったです。
    産んで、
    おっぱいをあげて育てたかった。
    育児の苦労を味わって、
    成長を喜びたかった。

  落ち着いた口調だったが、
  心の叫びだと思った。
  悔しさと無念さで、
  胸が張り裂けそうになっているに違いなかった。


    あの時に諦めた子供が、
    立派に成長していて、
    子鹿のように元気よく駆け回っているんです。
    何だか眩しくて、
    まともに見ていられませんでした。
    とはいえ、
    目を離すこともできなかったんですけど。



《選評》
その東野圭吾が、
今回の直木賞の選評で、
こんなことを書いています。
  さて、
  2014年の冬に選考委員となってから、
  5年半が過ぎた。
  この委員に任期はないらしいのだが、
  思うところがあり、
  今回で退任させてもらうことになった。

  じつに楽しく、
  勉強になることの多い時間だった。

  明らかに自分よりも実力があると思える方々の作品を評価するのは、
  難しく、
  気恥ずかしいことでもあった。

  的外れな選評に、
  気分を害された方も少なくないと思う。
  この場を借りてお詫びしたい。


今回の選評でいえば、
たとえば、
この箇所が、
その「お詫びしたい」部分なのかな?
・・・そう思いながら読みました。

  愛する人に甘えないというヒロインの選択を、
  「潔い」などと賞賛してはならないと思う。

  今この瞬間にも、
  難病と闘っている人たちのためにも、
  このヒロインの選択は、
  哀しい過ちであり、
  本来、
  癌サバイバーは、
  周囲に大いに甘えてよいのだ、
  ということを何らかの形で示してほしかった。 

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