よぶこえの引き出し

【又々・四絡幼稚園】2019・9・17

2019年09月17日

《又々・四絡幼稚園》
親にできることは・・・

親にできることは、
親を生きること。

親を生きることは、
“ういらか”を生きること。

“ういらか”を生きることは、
“うつくし”を生きること。
「この子のことが可愛くて可愛くてならない」を生きること。

“ういらか”を生きることは、
“いたし”を生きること。
「この子を見ていたら心が痛くてしかたがない」を生きること。

“ういらか”を生きることは、
“らうたし”を生きること。
「この子のためなら何でもしてやりたい」を生きること。
「できるものなら代わってやりたい」を生きること。

“ういらか”を生きることは、
“かなし”を生きること。
「かなんなあ~」を生きること。
「どうしてやることもできない」を生きること。
「親ってこんなにも無力なものなのか」を生きること。
ただただ子どもを抱きしめて泣くしかない現実を生きること。


それでも、
一筋の光を願う・・・こと。
希望の欠片を諦めない・・・こと。


《ポストカードから》
    離さず
  乳児期は肌を離さず
  幼児期は手を離さす
  学童期は目を離さず
  思春期は心を話さず
  大人になっても縁は離さず

    知り合いのまだ幼い息子さん
    最近
    こんなことを
    よく口にするようになったという
      かあかあが死んだら
      ぼくはどうしたらいいの?
      かあかあ 死んだりしない?
    不安なときなどに
    心配そうに
    聞いてくることもあれば
    ふいに悲しい顔で
    抱きついてくることもあるそうだ 
  大丈夫
  かあかあは死んだりしないよ
  かあかあはいつも一緒だよ
      (参考:益田ミリ『おとな小学生』)



《『らうたし』から)
     長靴
  遅くまで仕事をして
  二階に上がるとき
  玄関に萌恵の小さな長靴がきちんとそろえてあった
  いとおしさが心にしみた
  自然と手を合わせた
  寝ようとして時計を見たら
  一時だった
  ふとんをかけようとして
  また起き上がって
  萌恵の机に行った
  そして
  またまた手を合わせた


    萌恵のためなら
  酒もビールも飲まなくなって二週間
  萌恵のためなら
  そう思うと
  何でもできる気がする


    保育所の発表会の日
  明里が屈託無く眠ってしまってからも
  萌恵は母親を気遣って
  母ちゃんのために電気消してという
  明日の二月六日は
  保育所の発表会
  この日
  萌恵はMRI
  保育所では
  発表会の日に見ることができない親のために
  前日の練習に招待してくださった
  明里が寝息をたてているそばで
  萌恵もそろそろ眠りにつこうとしている
  明日がどんな日かも忘れて

 【又々・四絡幼稚園】2019・9・17




シリーズ『四絡幼稚園』は、
これでおしまい・・・です。

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