よぶこえの引き出し

【共感】2019・11・7

2019年11月07日

《共感》
物置を整理整頓していて、
「赤毛のアン」のビデオを見つけました。

何十年ぶりに数話を見ました。
その中に、
こんなシーンがありました。

アン・シャーリーが、
新任の牧師の家に招かれます。
客間に飾られた額絵に見入っています。

お茶を運んできた牧師夫人に、
アンがいつものように、
問わず語りにしゃべり出します。

  イエスさまを囲んでいる子どもたちから、
  少し離れたところに、
  緑色の服を着た子がいます。
  わたし、
  あの子の気持ちがわかります。
  あの子も、
  私と同じで両親がいない子だと思います。
  だって、
  とっても寂しそうなんだもの。
  あの子、
  イエスさまに早く気づいて欲しいんだけど、
  ほかの子どもたちには見つかりたくないんです。
  その気持ち、
  わたしとってもよくわかります。
  わたしもおんなじだったから。
  そしてね、
  イエスさまも、
  おんなじように悲しそうにしていらっしゃるの。

共感というのは、
経験の共有というより、
想像の共有なのかもしれない。 



《チカラ》
昨日、
「フォアミセス」の12月号を届けていただきました。

広田奈都美「ナースのチカラ」に、
こんなセリフがあって、
今夜の講演のチカラになりました。

  どんな親も
  愛情がどんなものか
  本当はわからない
  手探りのまま
  子育てしてる

  いき違いがあっても
  どこかで信じてほしい
  
  産み育てるって
  相当な覚悟がいるから

  存在しているということは
  望まれて産まれたんだと
  いうことを

  あの人にも
  伝わるといいな

 【共感】2019・11・7



《今朝の空》 

 【共感】2019・11・7



《昨日のバッタ》 

 【共感】2019・11・7



《昨日のあおむし》 

 【共感】2019・11・7



《昨日の夕空》 

 【共感】2019・11・7
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