よぶこえの引き出し

【中也】2019・11・10

2019年11月10日

《中也》
山口の人から、
湯田温泉、
井上公園にある中原中也の詩碑、
その写真が送られてきました。

【中也】2019・11・10



  これが私の古里だ
  さやかに風も吹いてゐる
  ああ
  おまへは
  何をしてきたのだと
  吹き来る風が
  私にいふ


《よぶこえ》
校長だより「よぶこえ」の第一号に、
この詩を引用しました。

そういう意味で、
私にとっては、
心に残る詩です。

  「校長だより」
  昨日の始業式でお話したことを、
  今日から実行したいので、
  今日を第一号として、
  「校長だより」をお届けしたいと思います。
 
  昨日の始業式で、
    私の仕事は、
    可能な限り学習環境を整えることと、
    倒れるまであなたたちを励まし続けること。
  だと言いました。

  この「校長だより」を、
  「倒れるまでの励まし」の一つにしたいと思います。

  毎日とはいきません。
  定期的に出すこともできません。
  でも、
  可能な限り、
  意味ある励ましを、
  可能な限り多くお届けしたいと思います。

  「何をして来たのだ」
  始業式の話で引用した詩の一節、
    あゝ
    おまへはなにをして来たのだと
    吹き来る風が私に云ふ
         (中原中也「帰郷」より)

  夜、
  床に就くとき、
  自らが自らに問うてみてください。
    今日一日、
    おまえは何をして来たのだ・・・と。

  自らに恥じることはないか?
  嘘はつかなかったか?
  人を苦しめることは無かったか?
  助けを求める人に寄り添ったか?
  やるべきことをきちんとやったか?
  今日もよくやったと自分自身を褒(ほ)めることができるか?
 
  風は云ってはくれません。
  自分で自分に問いかけてみてください。

  「あすのことを」 
  私はクリスチャンではないけれど、
  聖書のこの一節だけはそらんじています。
  私には、
  生きる励みにつながるからです。
    だから、
    あすのことを思いわずらうな。
    あすのことは、
    あす自身が思いわずらうであろう。
    一日の苦労は、
    その日一日だけで十分である。
        (「マタイによる福音書」より)

  「心込めて伝えたい」
  あなたたちの知られざる輝きや、
  あなたたちの声なき声や、
  先人の知恵や箴言(しんげん)や、
  時には、
  私の思いを込めて伝えたいと思います。
  
  あなたたちの琴線にふれるものがあったなら、
  これに過ぎる幸いはありません。

  今夜、
  帰宅途中の車の窓から吹き入る風が、
  「お前は何をして来たのだ」と云ったら、
  「今日は校長だよりを配った」と言いたい。
        (2008年8月19日 火曜日)     

【中也】2019・11・10




《昨日の煙》

【中也】2019・11・10



《昨日の夕日》 

【中也】2019・11・10



《今朝の雲》

【中也】2019・11・10
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