よぶこえの引き出し

【新聞小説】2019・12・15

2019年12月15日

《新聞小説》
これまで、
あんまり読まなかった新聞小説、
珍しく、
今の山陰中央新報の連載小説を読んでいます。
切り抜いてノートに貼ってもいます。

辻村深月『琥珀の夏』

23字×40行=920字
ほぼ一分で読めます。

文庫本にすると1ページちょっとです。

今日が35回、
途中から読み始めたので、
「ミカ」がどうしてあんなことしたのだろう?
という思いやら、
どうしてここまで追い詰められるんだろう?
という思いやら、
これからどうなってしまうんだろう?
という思いやら、
願いごとは叶うんだろうか?
そんな思いで、
朝の一分を楽しみにしています。


新聞小説で思い出しました。
12月7日の朝日新聞のコラム「古典百名山」に、
平田オリザさんが、
「夏目漱石『坊ちゃん』」と題して書いています。

  この時代、
  新聞小説は、
  たとえば父親が茶の間で、
  子どもたちに読んで聞かせるようなものだった。

  漱石の文体は、
  音として日本中に広まることになった。
     (中略)
  漱石たちが発明した文体で私たち日本人は、
  一つの言葉で政治を語り、
  裁判を行い、
  大学の授業を受け、
  喧嘩(けんか)をし、
  ラブレターを書くことができるようになった。

『坊ちゃん』が、
父親が茶の間で子どもたちに読んで聞かせる小説であったなら、
『琥珀の夏』は、
母親が台所で子どもたちに読んで聞かせる小説のようにも思います。



《記憶を記録する》
台所のシンクの下を片付ける必要があって、
鍋やら洗剤やらボールやらを、
いったん外に出しました。

古ぼけた台所洗剤の空の容器が出て来たので、
妻に尋ねたら、
下の娘が大学に入って、
初めて一人暮らしをしたときに使った洗剤の容器だと言います。 

 【新聞小説】2019・12・15



なんでこんなもの?
と思いましたが、
引っ越しは妻がついて行って手伝ったので、
何かしらの光景と重なって、
懐かしくてならなかったのでしょう。
ある切なさもあったのでしょう。
それで、
いつまでも捨てられなかったのだと思います。

先日、
どなたかが、
子どもがくれたもの、
子どもが書いたもの、
子どもが作ったもの、
子どもが貰ったもの、
そういうもので、
惜しくて捨てられないものを、
どうしたらいいか尋ねられて、
写真に撮って、
実物は捨てるのがいい、
・・・というようなことを言っていました。

それでも、
捨てられないものは、
子どもと一緒に写しておきましょう。
・・・などとも言っていました。

我が家も、
妻の気持ちを慮(おもんぱか)って、
ピアノの上に置いて写しました。

妻は、
娘が年末に帰省した時、
一緒に写真に撮ってから捨てると言いますが、
果たして、
娘にこの空容器が、
それほどの感慨をもたらすものか?

まあ、
捨てるのは、
いつでもできますから・・・。



《昨日》 

 【新聞小説】2019・12・15




《今朝》 

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