よぶこえの引き出し

【謙遜とか遠慮とか】2019・12・17

2019年12月18日

《謙遜》
12月14日の朝日新聞、
『キミとどたばた』に、
「こだわりを押しつけない」と題して、
SHELLYさんが書いています。

  私、
  自分のことを謙遜する日本の文化は好きですけど、
  親が子どもについて、
  「いや、うちの子なんて、全然」
  って本人の前で言うのには、
  すごく違和感があるんです。
    ナントカちゃん、
    すごく目が大きくて、
    かわいいね。
    うちのなんて・・・。
  みたいに。
  それって、
  子どもの自尊心をすごく傷つけている。
  「代理謙遜」と名付けてますが、
  一刻も早くなくなっていい文化だと思っています。


これまで、
日本の子どもをたくさん見てきましたが、
日本の子どもの多くは、
そんなことで自尊心を傷つけるほどヤワではないと思います。

親が目の前で言ったのなら、
なおさら・・・です。

ああ、
親は、
自分の子どものことは謙遜してるんだ、
よその子どもにはお上手を言ってるんだ、
・・・と、
ちゃんと「文化」をわきまえていると思います。

そうはいっても、
謙遜にも、
自慢にもならない、
そんな言い方ないものか?

私は、
自分が褒められたとき、
20数年前からは謙遜しないことにしています。

  褒めていただいて、
  生きる励みです。

  その言葉、
  明日を生きる励みさせていただきます。

ある保健室の先生から教わりました。


子どものことで褒められた時は、
  ありがとうございます。
  我が家では自慢の子どもです。

ある書道家のことば、
「自慢の娘です」を、
我が家風に、
ちょっと変えました、


《遠慮》
誰かから、
何かをいただくとき、
おんなじように、
遠慮しないことにしています。
「私、気持ちがいいほど遠慮しませんので」
と遠慮なくいただきます。

このことば、
ある小学生のお母さんから教わりました。

そのお母さん、
私が何をあげても、
まったく遠慮しない人でした。
まさしく、
気持のいいほど遠慮しない人です。



《遠慮も謙遜もなく》
これしきの写真を、
謙遜も遠慮もなく載せます。

昨日を三枚。

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今日を二枚。

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