よぶこえの引き出し

【残った者が】2020・1・26

2020年01月26日

《残った者が》
昨日の映画が、
風呂の中でよみがえりました。

自分が分からなくなったら・・・、
家族が分からなくなったら・・・、
世界が分からなくなったら・・・、
そんなことを考えました。

でも、
昔ほど深刻にはなりませんでした。

ゆったりお湯につかったら、
大丈夫・・・という思いになって、
そそくさと風呂からあがりました。

そんなことは、
残った者がなんとかしてくれるだろう。
残った者たちがなんとでもしてくれるだろう。

信頼に足る者たちだから・・・。




《きになるレモン》
来客がありました。
玄関を入るとき、
「あそこのレモン、気になりませんか?」

あまりに見事に生(な)っているので、
そういう言葉になったのだろうと思います。

「気ならないけど、木になっている」
瞬時に思いついたダジャレでした。
自分ではなかなかのものに思いましたが、
彼女の反応はいまひとつでした。



《是非》
昨日から読んでいる新書、
これまで「是」としてきたものに、
いきなり「非」を突き付けれた思いでした。

宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書) 

【残った者が】2020・1・26



新しい視点が多々ありました。
思いもよらない発見もありました。
他にもそう思う人もいるのだという親近感もありました。

さっきの「是非」は、
こういう個所です。
  「褒める」「話を聞いてあげる」は、
  その場を繕(つくろ)うにはいいのですが、
  長い目でみた場合、
  根本的解決策ではないので、
  逆に子どもの問題を先送りしているだけになってしまします。

褒めても話を聞いてやっても、
勉強ができないという事実は残ったままなので、
本当に解決されなければならないことが、
ただ先送りされただけだ、
・・・ということなのでしょう。


学校現場での、
  「この子は自尊感情が低い」という紋切り型フレーズ。

自尊過剰が高くない大人もたくさんいる。
でも、
ほとんどの大人は、
  自尊感情が低くても、
  社会人として何とか生活できているのです。

  大人でもなかなか高く保てない自尊感情を、
  子どもにだけ、
  「低いから問題だ」
  と言っている支援者は、
  矛盾しているのです。

  「自尊感情が低い」といった言葉に続くのは、
  「自尊感情を上げるような支援が必要である」
  といった締めの言葉です。

  無理に上げる必要もなく、
  低いままでもいい、
  ありのままの現実を受け入れていく強さが必要なのです。
  
  もういい加減、
  「自尊感情が・・・」
  といった表現からは卒業して欲しいところです。

あと30ページほどで読み終わりますが、
学ぶところの多い一冊でした。

最後の第7章、
「ではどうすれば? 1日5分で日本を変える」
に興味津々です。



《今日の雲》

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《今の雲》 

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