よぶこえの引き出し

【「わかりやすさ」の罠】2020・2・26

2020年02月27日

《「わかりやすさ」の罠》
昨日の島根大学二次試験を、
高校生と一緒に解きました。

国語の第二問題と第四問題。

第二問題は、
池上彰さんの文章と、
山鳥重さんの文章を踏まえて、
 「『わかりやすさ』の罠」にはまらないために、
 あなたはどのようにすればよいと考えるか。
という問題でした。

池上さんの文章の半分を引用します。
  「難しいことをわかりやすく」というのは、
  私がこの30年間ずっとモットーにし続けてきたことです。
  しかし、
  最近になって、
  どうも、
  少なからぬ人たちが、
  「わかりやすさ」の罠にはまってしまっているのでは、
  と心配になってきました。
  「罠」とはつまり、
  「わかったつもり」になってしまうということです。
  たとえば、
  特にここ数年、
    池上さんの番組で十分わかったから、
    もうそれ以上のことはいいよ。
  という声をよく聞くようになりました。
  その後、
  自分で関心を持ってニュースを見たり、
  新聞を読んだり、
  調べようというところまでいかずに、
  「わかった」気になってしまっているのです。


言われていることは理解しつつも、
なんだか割り切れないものを感じます。

たとえていうなら、
猪を生け捕りにするために罠を仕掛けて、
罠にかかった猪に向かって、
「罠にかからないように用心しろ」
とでも言っているような、
そんな割り切れなさです。


漢文は、
実にわかりやすい文章でした。
実にわかりやすい問題でした。

まるで、
「わかりやすさの」罠にはまったかのように・・・。



《雨の中で見たもの》 

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