【情緒の世界】2020・3・25
2020年03月25日
《情緒の世界》
月曜日に届けていただいた本を、
昨夜、
寝る前に読みました。
読み始めるとすぐに、
恐れ戦(おのの)きました。
目が冴え、
心が冷えました。
全 卓樹『銀河の片隅で科学夜話』(朝日出版社)
第一章「海辺の永遠」から、
少しだけ引用します。
死と静止は、
おそらく永遠の安らぎではない。
死してのちも、
万物が色褪(あ)せ崩れゆき、
世界が無慈悲に年老いていくことを、
熱力学の第二法則は命じるのだ。
1日の長さは、
1年に0.000017秒ずつ伸びている。
このことを、
過去にさかのぼって単純計算すると、
3億5千万年前の1日は23時間、
6億年前は22時間、
9億年前は20時間だったそうです。
反対に、
500億年の後は、
1日の長さがもはや時間の単位ではなく、
今の1日の45日に相当する長さになるそうです。
月は1年に3.5cmずつ地球から遠ざかっているので、
500億年後のには、
月は45日かけて地球の周りを一周するのだそうです。
といことは、
地球の自転と、
月の公転が同じ45日になります。
そうなると、
地球はいつも同じ面を月に向けることになり、
地球上からは、
月が見える地域と、
月が見えない地域に分かれてしまうそうです。
しかしながら、
恐らく、
その寂しい光景を、
われわれの子孫が目にすることはないだろう。
その遠い将来の来るはるかに以前に、
赤色巨星となった太陽が、
月も地球も呑み込んで、
焼き尽くしてしまっているだろうから。
そう書いてから、
著者は、
ニーチェの言葉を引用しています。
精神の韻律と肉体の脈動、
生命の死と再生の律動とは、
決して現実には存在しえない永劫回帰の理念を、
この世界に招来(しょうらい)しようとする意志の作用にほかならない。
この難解な言い回しを、
著者が、
分かりやすく説明しています。
ニーチェの見た「永遠」が、
病魔に侵された幻影なのか、
それとも世界の実相なのか、
それは不明である。
しかしながら、
われわれの意志に基づく日々の繰り返し、
日の出前の漁港の賑(にぎ)わい、
大都市の朝ごとの満員の通勤電車、
刻々と変わる信号機の色に応じて四辻(よつつじ)に溢れ出す人と車の波、
夕餉(ゆうげ)時のテレビニュースの開始を告げる変わらないキャスターの声音、
そういった人の世の止むことのない律動こそが、
われわれの世界に意味を与え、
その存続を支えているのは紛れもない事実であろう。
永劫回帰、
そして、
永遠を予感させる何かが、
もしもこの世にあるならば、
それはニーチェの語った通り、
滅びをのがれ再生を欲する生命の意志であろう。
人類は、
現実と情緒の間を揺れ動き、
私は、
情緒の世界に救われる。
そして、
悟ったことが一つありました。
寝る前には、
この本、
読んじゃいけないってこと。
夜話(やわ)だけど、
夜半(よわ)に読んじゃいけないってこと。