よぶこえの引き出し

【そこに】2020・5・10

2020年05月10日

《そこに》
200円で買ってきた古本、
幸田文『季節のかたみ』(講談社)

【そこに】2020・5・10


エッセイ集です。
二番目のエッセイは「氷」でした。

木彫の墨つぼをいただいたそうです。
大工さんのように墨つぼとして使うこともなければ、
何かを入れることもなく、
でも、
なぜか手放したくなくて、
戦争中も、
疎開先でも、
大事に持っていたそうです。

  墨糸は点から点へ打つ、
  直線のしるしづけである。
  その直線に、
  毛筋ほどのふくらみや削りが許されるという。
  そこに、
  私の心は強く惹かれていて、
  手放せなかったのである。

このごろ、
書斎の片づけをしていて、
どうしてこんなものを、
後生大事に、
何十年も、
とっておいたのだろう?
・・・と思うものがたくさんあります。

今となっては、
推し量るしかないのだけれど、
それにはそれなりの、
思いや意味があって、
そこに心惹かれて、
手放さなかったのでしょう。 


この本の最初のエッセイ「氷」に、
こんな一節があって、
  その後はいつしか、
  こんな歌を作る武骨で、
  うすのろで、
  素直で、
  心やさしい男がいたらどんなによかろうと思い・・・
「武骨」「うすのろ」「素直」「心やさしい」という言い方、
特に「うすのろ」、
そこに心惹かれました。

差別発言とも取られそうな言葉の奥底に
不謹慎を逆手にとった優しさを感じました。


わたしの「そこに」をいくつか。

「ぶざま」
  そんな時、
  私たちに警鐘を鳴らし、
  私たちを励ましてくれるのは、
  驚嘆するような素晴らしい実践なのではなく、
  おそらく、
  真摯でぶざまで熱い教育実践であるはずだ。


「暗闇」
  子どもの心は暗闇に触れることも大切だ。
  子どもには暗闇で育つという部分がある。
  親の目の届かい暗闇をなくしてしまったら育たなくなる。


「えこひいき」 
  正しくえこひいきされないと救われない子がいる。


「おばちゃん」
  おばちゃん、おばちゃんと呼ばれるのが嬉しくてならなかった。
  赤ちゃんを抱いている私はおばちゃんと呼ばれるのだ。
  私は初めて、
  おばちゃんという居場所を見つけて安心した。

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