よぶこえの引き出し

【黄色い本】2020・5・14

2020年05月14日

《黄色い本》
「図書」(岩波書店)4月号を読んでいたら、
心にチクリと痛い本の名前がありました。
『チボー家の人々』 なぜ痛いのか?
読もう読もうと思いながら、
読み始めることはあっても、
読み終えることも、
読み進めることも叶わないでいるからです。

「図書」の31ページ、
斎藤真理子「黄色い本のあった場所」から引用します。   
  古本を買うと、
  これ、
  一度も使われていないなあと思えるスピン(しおりのリボン)が見つかることがある。      スピンがこうだと、
  本はおそらくほとんど読まれていない。
  しかし、
  読まれていないからといって、
  持ち主と本の関係が浅かったとは限らない。

  読まなくちゃ、
  読まなくちゃと、
  ずっと思われていた一冊なのかもしれないし。
  そんな、
  読まなくちゃの本が何冊もあります。
  私にとっての、
  マルタン・デュ=ガールの『チボー家の人々』がそうです。
  同じように、
  トルストイの『アンナカレーニナ』
  ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
  ケルケゴールの『死に至る病』
 
何度も何度も手に取って、
冒頭を暗記している本もあるのに、
読みおおせることなく、
今に至っています。   

  幸福な家族はみな一様だが、
  不幸な家族はそれぞれに不幸だ。
        (『アンナカレーニナ』)

  死に至る病、
    それは絶望である。
      (『死に至る病』)

  出て行く室々よ、
  出発することのすばらしさよ。
      (『チボー家の人々』)

斎藤真理子さんの文章から、
もう少し引用します。
  そしてもう一冊、
  この小説を日本の女の子が、
  どう読んだかを描いた本がある。
   高野文子の『黄色い本~ジャック・チボーという名の友人』、
  最初に、
  こっちの方を紹介したい。
  おそらく、
  高野さん自身が高校生だった1970年代の、
  日本の、
  地方の、
  高校3年生女子の生活が、
  この本にはある。
   
  主人公の実地子(みちこ)が、
  『チボー家の人々』を読んでいる、
  ひたすら読んでいる、
  そういう日々だった。
  登場人物はみんな新潟の言葉を話す。
  高野文子さんは新潟市の出身で、
  私は高野さんより三歳年下の、
  やはり新潟生まれだから、
  ほとんどの言葉がよくわかる。

まずは、
この本から読もうと思いました。

高校生が主人公の、
この本から。   

新潟言葉で書かれた、
この本から。

『チボー家の人々』をひたすら読んだ、
この本から。

高野文子の『黄色い本』から。



《今朝の空》
明日からは、
天気は下り坂だそうです。
【黄色い本】2020・5・14
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