よぶこえの引き出し

【どうして】2020・6・20

2020年06月20日

《どうして》
唐の詩人、
李商隠(りしょういん)が、
  八歳偸照鏡
  長眉已能画
始まるで五言律詩を書いています。

書き下し文にすると、
  八歳にして偸(ひそ)かに鏡に照(う)つし
  長眉(ちょうび)已(すで)に能(よ)く画(えが)く

平易な漢文なので、
私なりに現代語訳すると、
  八つのころから、
  人にかくれて鏡をのぞき込みました。
  そのころから、
  眉を長く描く化粧もできました。
  十歳にときには、
  野原にピクニックに出かけ摘み草もしました。
  蓮(はす)の花でスカートを飾り付けたりもしました。
  十二歳から琴を学びはじめ、
  あんまり嬉しくて、
  一日中、
  琴爪を外しませんでした。
  十四歳のころ、
  親きょうだいの視線を避けるようになりました。
  この子はまだお嫁に行かないのかと、
  家族に思われている気がしてならなかったからです。
  十五歳になった今は、
  春風に吹かれて泣いています。
  顔をそむけて泣いています。
  ブランコのもとで泣いています。

持って生まれた素質や、
その後の努力をもってしても、
それ以外の条件がそろわないと、
なかなか良縁に恵まれなかった時代だったのでしょう。


作者の李商隠もまた、
若くして才能あふれていながら、
家柄や、
有力者の引き立てに恵まれず、
そうした我が身の不遇を、
同じような境遇の少女に託して、
この詩を書いたと思われます。


そして、
李白や杜甫、
白居易を論じる人の多い中で、
高橋和己が李商隠を選んで、
『李商隠』(河出書房新社)を書いているのも、
なるほどなあと思いました。


人は、
他人が世にもてはやされると、
どうしてあの人が?
・・・と思うものです。

反対に、
自分が不運に見舞われると、
どうして自分が?
・・・と思いがちです。

そんなことを想いながら、
高橋和己を読みました。




《今朝の空》
この空、
晴れに向かうのか、
雨になるのか、
それとも、
一日こんな空なのか、
ちょっと予想がつきにくい。 

【どうして】2020・6・20
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