よぶこえの引き出し

【マユちゃん】2020・6・28

2020年06月28日

《マユちゃん》
ある期待感で読み進めた本、
荻原 浩『海の見える理髪店』(集英社) 

【マユちゃん】2020・6・28



表題の「海の見える理髪店」を含めて、
6編の短編集です。

「海の見える理髪店」は理髪店の話。
「いつか来た道」は母と娘の話。
「遠くから来た手紙」は遠くから来た手紙の話。
「空は今日もスカイ」はフォレストとビッグマンと茜の話。 
「時のない時計」は止まった時計と止めた時計の話。
「成人式」は娘が出席するはずだった成人式の話。

バラバラの時間、
バラバラの場所、
バラバラの人たち、
バラバラの出来事、
それが、
少しずつ絡み合い、
最後の最後で一本の糸に繋がる話。

そういう短編集がありますが、
この短編集も、
そんな意匠の短編集と思って読み進め、
それが一つの大きな期待でした。
でも、
単なるバラバラの短編集でした。

その期待感はしぼみましたが、
それぞれの話は、
それぞれに心に染みました。


その中から、
こんな場面を紹介します。

以前読んだ、
『誕生日を知らない女の子』と通い合う箇所だったので・・・。

  そのうち私は自分を守る方法を考案した。
  母親が私を叱る時には、
  心を遠くへ飛ばすのだ。
  私の心は体を離れて、
  私じゃない別の女の子が叱られていることにするのだ。
  気の毒な叱られ役は、
  私とそっくりな少女。
  絵が下手て、
  夏には他の子みたいなハーフパンツを穿(は)きたがって、
  絵ばかり描いて他の子と遊べないから友だちのいない子。
  名前はマユちゃん。
  マユちゃんと毎日お喋りをした。
  母親がいったん消えた教室で、
  自分たちの部屋で、
  ベッドの中でも。
  姉とそうしていたように。
  私はまず、
  母に叱られた時にいなくなってしまうことを謝り、
  マユちゃんは寂しそうに微笑んで、
  いつもそれを許してくれた。
             (「いつか来た道」より)


黒川洋子『誕生日を知らない女の子~虐待・その後の子どもたち~』(集英社)では、
母親から暴力を振るわれる女の子が、
キティちゃんと遊ぶ世界を作りあげ、
体の痛みと苦しみを逃れて生きていました。

母親から理不尽な暴力を振るわれると、
頭の中でキティちゃんと遊んでいることにする。

キティちゃんと遊んでいる世界が本当で、
母親から殴られている世界を嘘にしてしまう。

そうやって、
激痛と苦痛を、
どこか遠くに飛ばしてしまう。

そういう現実乖離(かいり)が日常的になると、
母親から引き離されて、
暴力から救われても、
それで終わったことにならない。

長い年月、
その体と心の乖離は、
その子について離れない。

そうして、
日常生活や精神生活など、
いろんなことに支障をきたす。

「虐待」とは、
そういうものだと黒川さんは言います。

「事実」が消えても、
「心と体の傷」は消えない。

いつまでも、
どこまでも、
その子を蝕(むしば)み続けて、
その子を離さない。

周りの大人は、
母と子を引き離したから、
暴力がなくなったから、
これでもう安心と思ってしまう。

でも、
そうだから、
なおのこと、
その子たちは救われない。

そんなことを思い出しながら、
「いつか来た道」を読みました。
「母と娘」の話を読みました。

画家の母親と、
絵が下手な娘の話を読みました。




《今朝の空》

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《昨日の空》 

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