【あくがる】2020・7・4
2020年07月04日
《あくがる》
届けていただいた冊子、
「本の窓」7月号(小学館)を読んでいたら、
「憧れ(あこがれ)」の古い形「あくがる」について、
酒井順子さんが連載の「女人京都」⑩に書いていました。
今の「憧れ」は、
心惹かれる対象を仰ぎ見るという、
その行為のみ示すようになっており、
「あくがる」が、
そもそも意味していた「魂が身体から離れていく感じ」を、
私達は既に忘れています。
それというのも、
今は魂と共に肉体を移動させることが簡単にできる時代だからなのでしょう。
この文章を書きながらも、
私は「京都に行きたいなぁ」と願い、
京都のあちらこちらのことを、
思っています。
厳しい残暑の中で食べたカレーの味、
鴨川を渡る風、
御所の緑。
・・・そんなものを五感を総動員して反芻う(はんすう)しながら、
はたと思ったのが、
「これが『あくがる』ということなのではあるまいか」
ということ。
行きたいけれど、
行くことができない。
会いたいけれど、
会うことができない。
そんな状況の中で、
身体は家の中にいるまま、
自身の魂だけがさまよい出てしまいそうな感じを、
私は外出自粛の世において、
理解しました。
古語辞典を読んで知っていた「憧る」の意味を初めて体感した、
と言いましょうか。
私も、
「あくがる」の意味は知っていました。
私も、
外出自粛を経験しました。
でも、
私は、
彼女のようには「あくがる」を実感しませんでした。
なるほど、
感性が鋭いとか鈍いとかいうのは、
こういうことなんだと思いました。
私は、
行けなければ行けないで、
会えなければ会えないで、
ま、いっか・・・と思っていました。
《昨日の日本海》